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ベトナム国ってどんな国?

ベトナム国ってどんな国?

ベトナムの正式名称はベトナム社会主義共和国といいます。漢字では「越南」と表記されます。ちなみにベトナムは東南アジアで唯一の漢字圏であり、昔は漢字が使われていました。よく知っているようであまり知られていないベトナム。この記事を読んで少し詳しくなってみませんか?

国名 ベトナム
正式国名 ベトナム社会主義共和国 (Socialist Republic of Viet Nam)
国歌 ティエン クァン カー(Tien Quan Ca)
面積 32万9241km2 日本の約90%
人口 約8500万人(2009年)
首都 ハノイ 人口約800万人(2009年)
元首 グエン ミン チェット国家主席
首相 グエン スウアン フック首相
政体 社会主義共和制
民族構成 キン族約90%。他の少数民族50以上
宗教 約80%が仏教徒。そのほか、キリスト教、カオダイ教、ホアハオ教、ヒンドゥー教など。
通貨 DONG VND ドン 1円=202ドン(2010年1月現在)
祝日・祭日 1月1日 元日
旧暦の大晦日と1月1日~3日 テト
(※旧正月、2010年の元日は2月14日)
4月30日 南部解放記念日
5月1日 メーデー
9月2日 建国記念日

 

 

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世界遺産ハロン湾

基礎

ベトナムは熱い真夏の国という印象があるが地域によって寒い冬もあります。全体的には高温多湿で雨が多く、平均気温も22℃という熱帯モンスーン気候の国です。国土が南北に長いため南部と北部ではかなり気候が異なっています。南部は乾期と雨期しかないのに対し、北部には短い秋、冬春を含めた四季があります。ホーチミン市を中心とする南部は平均気温が26℃と高く雨期前の3月から5月が最も熱いです。ハノイ市を中心とする北部は四季があり1月から3月までは霧雨が降り寒く、気温が10℃以下になることもあります。雨期は5月から9月で最も熱いです。

インドシナ半島東側の細長いS字型の国ベトナムは、豊かでバラエティーに富んだ自然を有しています。山岳地帯、美しい海岸線を持つビーチ、肥沃なメコンデルタなど、観光ポイントとして開発されている所も数多くあります。北部のハロン湾、中部のチャンパ遺跡のあるミーソン、古い街並みが残るホイアンは世界遺産に登録されており、旅行者にも人気の場所です。また最近では、エスニックな雑貨ショッピングとビーチリゾートを楽しむというコンセプトのベトナム旅行が注目を集めています。

国名はベトナム社会主義共和国であり、首都はハノイです。インドシナ半島の東シナ海側に位置し、アルファベットのS字にようで周囲を中国・ラオス・カンボジアと接している南北に細長い国です。面積は約33万平方キロで日本より少し小さい面積です。人口は約8500万人でキン族と呼ばれるベトナム人の他50以上の少数民族が暮らす他民族国家です。その内キン族が90%を占めています。言語は公用語のベトナム語です。

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ホイアン古い町並み

歴史

  征服と侵略の歴史でもあります。中国による約1000年の植民地支配に始まり、記憶に新しいところでは、アメリカとの戦争ベトナム戦争「地獄の黙示録」や「プラトーン」など映画の題材にもなりました。また、意外と知られていないのはフランスの植民地支配になっベトナムは中国と国境を接しているため古来から長い間侵略されたり、奪還したりを繰り返しました。なのでその多くが他国に征服されていたという歴史を持っています。元々のベトナムは今の北部に石器時代の文化が生まれた事が起源で、そして青銅器時代へと移りうまれていき、その辺りに多くの小さな国が誕生していきます。このころ多くあった国を一つにまとめる人物が出始めて、国が建設されていきます。しかし中国もこの地域の支配をねらったためこの地域は何度も支配が代わっていきました。中国は何度か強国の時代がありましたが、ベトナムにも強国を創りあげる英雄が台頭し、徐々に南下し南部の帝国を吸収していきました。その後全土を平定しこれからという時にフランスが侵略してきたのでベトナムはその歴史の多くが他国に侵略されていたのです。ベトナム戦争これを無くしてベトナムの歴史は語れません。日本の敗戦のあと再び侵略し始めたフランスでしたが、54年のディエンビエンフーの敗北で撤退せざるをえなくなります。フランスに戦費の多くを負担していたアメリカがフランスに取って代わり南部ベトナムに進駐し、アメリカ寄りの傀儡政権を樹立、これに対抗した北部政権と南部解放戦線はアメリカに宣戦布告をし戦争が始まりました。アメリカはソ連との冷戦のなか、アジアにソ連寄りの共産主義国が生まれることを危惧してはじまったとされるベトナム戦争でしたが、実際はただお互い犠牲者が多く出ただけの悲しい戦争となってしまいました。アメリカはその間ケネディからニクソンにまたがって攻撃を繰り返し、73年の米軍撤退まで北爆や虐殺を行いました。

政治

 ベトナムは共産党による一党支配5年ごとに共産党大会を開催し、国家運営の全てをここで決定しています。現在の元首グエン ミンエット国家主席 首相はグエン タン ズン国家主席、共産党書記長、首相が共産党と国家の最高人事となっています。中でも共産党書記最高位の指導者です

内政:1986年の第6回党大会にて採択された市場経済システムの導入と対外開放化を柱としたドイモイ(刷新)路線を継続、外資導入に向けた構造改革や国際競争力強化に取り組んでいます。他方、ドイモイの進展の裏で、貧富の差の拡大、汚職の蔓廷、官僚主義の弊害などのマイナス面も顕在化しています。2006年4月には、第10回党大会(5年毎)が開催され、「ドイモイ(刷新)」政策実施20年を総括しました。また、ドイモイ路線の継続を確認し、汚職問題について厳しく取り組む姿勢が表明されました。書記長には、ノン・ドゥック・マイン書記長が再選されました。党大会後の第11期第9回国会(5月16日から6月29日まで)にて6月26日にはグエン・フー・チョン国会議長が、27日グエン・ミン・チエット国家主席、グエン・タン・ズン首相が新たに選出されました。2007年5月、5年に一度の国会議員選挙が行われ、マイン書記長を始めとする首脳陣はいずれも当選し、同年7月~8月の新期(第12期)第一回国会において、チョン国会議長、チエット国家主席、ズン首相の再任が承認されました。また、同国会では、省庁改編(中央省庁数の削減)、一部閣僚の交代(副首相2名の追加等)の他、今期国会議員の任期を4年に短縮し、地方議会(人民評議会)議員の任期を2年延長させることが決定され、次回選挙(2011年)より、国会、地方議会選挙と共産党大会が同一年に行われることとなりました。

経済

 南北の統一(1975年)がなされた後もなかなかよくならない経済状態を打開するため、1986年からドイモイ「刷新」と呼ばれる経済政策が打ち出されました。ドイモイは主に「市場経済の導入」「対外開放」が進められ今までの最大の貿易相手国旧ソ連が崩壊したことにより一気に改革が加速しました。1991年には暫く中越戦争で亀裂の生じていた中国と国交正常化、また、アメリカとの国交正常化によりベトナムは次第に国際社会の一員として迎えられました。
ベトナムは1996年から2006年の10年間は目覚しい経済を成し遂げました。しかしここ数年はアジア経済危機です。世界同時不況の煽りを受けて不安材料を抱えています。ベトナムの高速鉄道、日本の新幹線を採用 総事業費5兆円ベトナム政府が東南アジア最大規模の交通インフラ整備事業「南北高速鉄道」に日本の新幹線方式の採用を決めたことが明らかになりました。2009年11月の日越首脳会談でグエン・タン・ズン首相が鳩山由紀夫首相に表明しました。海外での同方式採用は台湾に次ぎ2番目です。日本政府は近く、計画の推進を目指した次官級協議を提案する予定です。総事業費560億ドル(約5兆円)の大規模事業が具体化に向けて動き出します。南北高速鉄道はベトナム北部の首都ハノイと南部の商都ホーチミン間(1560キロメートル)を結ぶ計画です。事業規模が大きいため、ベトナム政府は一部区間を優先して着工する案を検討します。具体的には北部のハノイ―ビン間(280キロメートル)、南部のニャチャン―ホーチミン間(380キロメートル)の2区間で整備を先行する構想が浮上しています。ベトナムにおける経済改革政策(ドイモイ政策)が実施されました。
1986年以降の経済発展の特徴と今後の持続的発展のための課題を明らかにしました。主な結果として、第一に、土地生産性および生産面積の同時増加によってコメ生産が飛躍的に発展し、農業部門の安定的成長や輸出拡大に貢献しました。土地生産性の増加には、肥料投入の増加による貢献が最も大きく、また灌漑面積の増加やドイモイ政策の実施などが大きな要因であることを定量的に実証しました。しかし、灌漑面積率が減少傾向にあり、水利投資をはじめとする農業土地基盤整備の推進や土地生産性の地域間高位平準化などが必要です。
第二に、1992年から1997年頃までに工業化が大きく進展し、経済の高度成長が実現されました。これらは外国直接投資や輸出の拡大によるところが大きいです。しかし、工業化の進展や経済発展に伴って産業構造は大きく変容したが、就業構造はほとんど変化しておらず、大量な農業過剰労働力を吸収するための国際的競争有意性をもつ労働集約型産業の振興戦略の構築が必要です。1986 年12月のベトナム共産党第6回大会で、社会主義に市場経済システムを取り入れるというドイモイ政策が採択、中国と同様に改革・開放路線へと転換しました。1996年の ベトナム共産党第8回大会では、2020年までに工業国入りを目指す「工業化と近代化」を二大戦略とする政治報告を採択しました。政府開発援助と外国投資が経済を牽引しています。アジア通貨危機で一時失速した国内総生産 (GDP) の成長率も、2001年は6.8%、02年7.0%、03年7.2%、04年7.7%と安定成長が続いています。中国では人件費が上昇基調にあることから、新たな投資先として近年、注目されています。
こうしたことからも、WTO加盟が政府にとって重要な目標となっていましたが、2007年1月、ようやくWTOに加盟しました。労働人口の66%が第一次産業に従事していますが、近年は第二、第三次産業が急成長です。観光業の伸びが特に著しく、重要な外貨獲 得源となっています。主な輸出品目は原油、衣料品、農水産物です。特にコメについては、タイに次ぐ世界第二位の輸出国でしたが、現在は輸出制限措置をとっています。

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